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2017年 12月 16日


広辞苑、この辞書にはお世話になりました。
正しく座右の書でした。
過去形で書きましたが、今はネットに頼っています。
ただ、この広辞苑は困ったことに「広辞苑の罠」と言われる罠が仕掛けられていることも心しておかなければならない辞書なのです。
もっとも岩波書店が発行しているのですから、それだけでも要注意なのです。


それでも広辞苑は誰もが使う国民的辞書であり、そこからの引用は、無条件で信用されています。
また小百科としての性格を持ち、歴史用語も項目が立てられています。
でも、その記述は極めて一面的で、日本悪玉論、贖罪論に満ち溢れていて、知らずに使っていると、知らず知らずの間に洗脳されてしまうこと必定です。
つまり広辞苑は、使う人が自然と日本嫌いになるよう「罠」が仕掛けられているのです。

昨日、広辞苑で台湾が「中華人民共和国」の一部として表記されていることに対し、台北駐日経済文化代表処(在日大使館に相当)が広辞苑を発行する岩波書店側に表記の修正を求める書簡を作成し送付したことが記事になっていました。
つまり、辞書には台湾は中国であるとこの書かれているのです。

間違いを記載していては辞書ではありませんよね。

以前に友人が「広辞苑は間違いがあるから大辞林を使っている」と言ったことを思い出しました。





2017年 12月 1日


今日から12月ですね。
つい先日、門松をかたづけたように思うのですが・・・、もう12月です。

12月には行事やイベントが目白押しです。
12月はクリスマスだけではありません。

サラリーマンの人たちにはボーナスという楽しみもありますね。
そうそう年末調整をしなければなりません。
オッと、その前にお歳暮を贈る人もおいでるでしょう。

忘年会で夜が忙しいのも12月ですね。
○○大賞の発表なんてありますね。
そして仕事納め。
オッといけない、大掃除をしなければなりません。
奥様方はお正月の準備をしなければなりませんね。
そして大晦日。

な~んて書いたけど、大工集団 欅は冬支度が終わっていません。
 畑の片づけ
 雪囲い
 etc.etc.

なんかわからんけど・・・、焦る。

とにかく12月になりました。
とりあえず、喫茶大工集団 欅のトイレのイラストは1915年12月12日生まれのフランク・シナトラ(Frank Sinatora)に掛け替えました。

          
              



2017年 11月 26日


今日は11月26日。
1126、イイフロ・・・、お風呂の日だそうです。


大工集団 欅より3キロほど白峰方面にある杉の子温泉は天然かけ流しの温泉です。
温質も大変良く、ポッカポカになります。
私達もしょっちゅう杉の子温泉に入りに行きます。

ところが、残念なことに12月25日で閉店となるそうです。
私たちだけではなく多くの人が残念に思っておいでることでしょう。

どうにか存続してもらえないものでしょうか。





2017年 11月 23日


今日は勤労感謝の日です。


国民の祝日、と言うよりも「旗日」と言った方がピンとくるのは、私が年寄りだからでしょうか。

いま、祝日となる旗日は元日(1月1日)から天皇誕生日(12月23日)まで年間15日あります。
更に、旗日が日曜日と重なると翌日は振り替え休日になります。

残念なことに旗日の由来が薄れがちです。
旗日が何の祝日なのかはどうでも良くて、とにかく休みになるのが嬉しい日となっているのではないでしょうか。

たとえば今日、勤労感謝の日(11月23日)は戦前の新嘗祭です。
これは宮中行事の一つで、天皇が新穀を神々に供え、天皇御自身も食する日です。
それが転じて生産を祝い感謝する日、勤労感謝の日になりました。

旗日のいわれを知らない人が案外多い。
そういうことは学校で教えているのでしょうか。
私の時代でさえ教えられませんでしたから・・・ね。
何故、今日が学校が休みなのか、理由を教えることは大切なことなのではないでしょうか。

今ではハッピー・マンデーの制定により下記の旗日が月曜日に移行し、週休2日制と連動して3日間の連休となっています。
  成人の日 (1月15日→1月の第2月曜日)
  海の日  (7月20日→7月の第3月曜日)
  敬老の日 (9月15日→9月の第3月曜日)
  体育の日 (10月10日→10月の第2月曜日)
とにかく休みを多くしたかったのでしょうね。

何の旗日なのかも知らずに学校や会社を休んでいる人が多いのには驚きます。
祝日と言うくらいですからそれぞれの日は何を祝う日なのかくらいは知っておくべきです。

上記の成人の日は「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」ことを趣旨としています。
成人の日を1月15日としたのは、この日が小正月であり、かつては元服の儀が小正月に行われていたことによるのが理由です。

海の日は「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う」ことを趣旨としています。
祝日化される前は「海の記念日」という記念日でした。
海の記念日は、1876年(明治9年)、明治天皇の東北地方巡幸の際、それまでの軍艦ではなく灯台巡視の汽船「明治丸」によって航海をし、7月20日に横浜港に帰着したことにちなみ、1941年に制定されました。

敬老の日は「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」ことを趣旨としています。
兵庫県多可郡野間谷村(現在の多可町八千代区)の村長と助役が1947年に提唱した「としよりの日」が始まりです。
「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」と、農閑期に当り気候も良い9月中旬の15日を「としよりの日」と定め、従来から敬老会を開いていました。
これが1950年からは兵庫県全体で行われるようになり、後に全国に広がっり、「敬老の日」となりました。

体育の日は「スポーツにしたしみ、健康な心身をつちかう」ことを趣旨としています。
1964年の東京オリンピックの開会式が行われた10月10日を、1966年から国民の祝日としました。

せめて旗日の趣旨だけでも教えて欲しい。

さて今日11月23日は勤労感謝の日です。
「勤労をたつとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」ことを趣旨としています。

それにしても祝日に日の丸を玄関に掲げる家が少なくなりましたね。
喫茶大工集団欅は祝日には玄関に日の丸を出すのですが、お客様から「右翼ですか?」と聞かれたことがあります。
私は右翼ではありません、日本国民です。





2017年 11月 21日


大学を卒業した時に心にとめたことの一つに『歳をとっても今どきの若い者は…とは言わない』がありました。

昨日、とあるフォーラムへ誘われました。
ところが主催者から年齢を尋ねられお答えしたところ、参加条件は昭和30年生まれ以降と言われショックを受けました。
私は29年生まれなのです。
そりゃそうだ、63歳の爺では偉様ぶってばかりで、これから先の話にはなるまいと思う。

私たち60歳台はもうリーダーではない。
1世代下の若き人たちにバトンを渡さなければならない歳になったのだと思います。

考えてみると私の年代は複雑な年代なのです。
私が大学に入った72年当時は学生運動は既に下火となっていました。
私達より前が全共闘世代(団塊世代)、その後が「ノンポリ(政治的無関心)」世代と言われます。
私達がノンポリ前期世代で、1955年(昭和30年)生まれ以降のノンポリ世代後期はいわゆる「バブル世代」でもあります。

60年安保の世代から長く続いた戦後日本の左傾化は全共闘世代で終わりました。
それ以降は政治的に中立のノンポリ世代・バブル世代が続き、ロストジェネレーション世代以降は若者の政治的保守化が進んでいるそうです。

アメリカにも似たような流れがありました。
戦後ベビーブーマーの中でリベラルと保守に鋭く分裂したのがベトナム戦争期に高校生・大学生だったベトナム世代です。
彼らは日本の全共闘世代にほぼ相当します。
これに続くのがミー世代(X世代)、60~80年代生まれの彼らは政治的無関心と個人主義的傾向が特徴です。
さらに21世紀に成人・社会人となった80~2000年代生まれはミレニアム世代(Y世代)と呼ばれています。
情報・ITに優れ、自己中心的だが保守的で、他者の多様な価値観を受け入れる傾向があります。
日本では団塊ジュニアの世代となります。

世代論を書きましたが、それは50年代生まれの私達ノンポリ世代前期には重要な使命があると考えたからです。
その使命とは私達以前の戦後の全共闘世代まで続いた空想的平和主義を克服する一方で、この日本を自己主張は強いが政治的にはより健全な60年代生まれのノンポリ後期世代に引き継ぐことではなかろうか、と考えたからです。

今の日本には人口減少、経済低成長、潜在的脅威の増大など問題が山積しています。
日本がこうした試練を生き抜くためには世代間の円滑な引き継ぎを成功させる必要があります。
失礼ながら、その失敗例が全共闘世代であり、その象徴が民主党の鳩山由紀夫、菅直人両首相でした。
彼ら全共闘世代は無責任政治でした。
アメリカの同世代であるベトナム世代のクリントン、ブッシュ両大統領がそれなりの統治を行ったことに比べれば、日本の全共闘世代は随分と見劣りします。
やはり、実際に戦場に送られる恐怖と戦った米国人学生と、戦争はひとごとだった日本の反戦学生との違いなのでしょうね。

全共闘世代の無責任政治を継いだのがノンポリ世代前期の安倍晋三首相であったことは決して偶然ではないでしょう。

前述のノンポリ後期世代以降のフォーラムは『批判より提案を、思想から行動へ、リーダーとしての自覚を醸成する』ことだといいます。
私は次世代のノンポリ後期世代の能力を信じたい。

私達ノンポリ前期世代の責任は、ようやくまっとうな国になり始めた日本を次世代のノンポリ後期世代に円滑に引き継ぐことだと思っています。

家内はいつも私に「オシメを替えてあげたら、「ありがとう」って言ってくれるお爺ちゃんになってね。」と言います。





2017年 11月 19日


お客様から、三角庭だったところに建てている建物が何なのかよく聞かれます。
完成まで内緒にしておきたかったのですが、もうダメです。
喫茶大工集団欅でお出ししている『アップルパイ』と『ヤギのミルクで作ったチーズケーキ』を作る厨房です。
完成は・・・?

さて、今日の話題はジャズです。
私も例外ではなく、中学生になりジャズを聴くまでは「難解・深刻・大人」といった、どちらかといえばマイナスのイメージを抱いていました。
しかし実際に聴いたジャズの大半は「えっ? これがジャズなの?」「これをジャズと呼んでいいの?」と、思わず心配になってしまうほど明るく、あっけらかんとしていました。
もちろんイメージどおりの難解で深刻なものもありましたが、その一方には、60年代後期当時の進化しつづけるロックよりもはるかにシンプルで聴きやすく、理解しやすいジャズが山のようにありました。

マイルス・デイヴィスの『マイルス・イン・ザ・スカイ』、ドン・エリスの『オータム』、チャールス・ロイドの『フォレスト・フラワー』、ジョン・ハンディの『アット・モンタレー』、ゲイリー・バートンの『ロフティ・フェイク・アナグラム』といったアルバムは、初心者以前の私が勝手に抱いていたジャズに対するイメージを根底から覆し、ただただ刺激的な音楽として眼前に現れました。
それはなにも彼らの音楽がジャズとロックを融合させるような方向に向かっていたという理由だけでなく、ジャズでもロックでもポップスでもない「新しいかっこよさ」を感じさせるものだったからでした。
そしてそうしたなかにセロニアス・モンクの『アンダーグラウンド』がありました。


私が最初にヤラレたのは、ジャケットでした。
よく「ジャケ買い」という言葉を耳にしますが、いまではエロ及びイロモノ収集を意味する傾向にあるその言葉は、当時は文字どおり「かっこいい」ことを指していました。
「ジャケ買い」とは「かっこいいジャケット」にだけ適用される言葉だったのです。
モンクの『アンダーグラウンド』は「ジャケ買い」の筆頭に挙げられ、(少なくともぼくの周囲では)ジャズに興味のないロック・ファンまでが買いに走りました。

これはいまでも通用するテーマだと思いますが、イラストなのか写真なのかと話題になったこともよく覚えています。
ちなみに、数年後に発売されたボブ・ディランの『地下室』のジャケットは、ブルーノート・レコードのデザインで知られるリード・マイルスが撮影したものですが、絶対に『アンダーグラウンド』が下敷きとしてあったと思う。

ジャケット以上に驚いたのが、その音楽のかっこよさ、わかりやすさでした。
『なんと明快で起承転結のはっきりした音楽なのだろう。もしもこれが「ジャズ」という音楽の基準とするなら、ジャズってまったく難解でも深刻でもなく楽しい音楽じゃないか。』
単純な私はそう思ったが、それはモンクの音楽、とくに『アンダーグラウンド』にあてはまることであり、ジャズ総体に関する印象や理解ではなかった。
でも、『そんなことはどっちでもいいではないか』、モンクの音楽は、そう語りかけていた。

「深読み」と同じく「深聴き」をしようと思えば、いくらでもできる。
モンクの音楽は、シンプルに見えて、じつは深い。
しかし私としては、その深みの手前に無数に用意されている「楽しそうな扉」を次々に開けたくなってしまうのです。
そしてそれが「セロニアス・モンクを聴く」ということだと思っている。
難解で深刻な部屋にモンクを閉じ込めてはいけない。
そう、アルバム・タイトルの「アンダーグラウンド」とは皮肉の効いた反語であり、だからこそこのジャケットは風刺的な意味合いで成功しているのです。

演奏はおなじみのカルテットによるものだが、テナー・サックスのチャーリー・ラウズは父親の葬儀と重なったために全曲への参加は叶わなかった。
一方《イン・ウォークド・バド》にはジョン・ヘンドリックス(ヴォーカル)が加わり、いつものモンク盤と異なる味をつけ加えている。
ラウズとヘンドリックスの参加・不参加が生み出す凹凸感もまた、私にはきわめてモンク的な世界を描き出す重要な要素になっているように思える。
あのころも21世紀の現在も、モンクの音楽が運んでくる「デコボコの快感」はまったく変わっていない。




2017年 11月 6日


今日は三角庭に建てるラボ(何のラボかは内緒です)の棟上げでした。
お客様の建物の棟上げでは一日中見ているのですが、自分の所だと見ることもなく平日と変わらない一日でした。


建築屋をしていると自分の建物はどうでもよいと言うか・・・、後回しにしたり、「これでいいや」となってしまうものです。

家を建てたとき、階段の手摺りを付けるのに時間が無く、そのまま引っ越しました。
その後、手摺りのない階段を上り下りしていたのですが、手摺りを付けたのは17年後でした。
家内の部屋に棚を作ることになっているのですが、材料が届いて2年になりますが、今も作られていません。

そんなものなんですよね。





2017年 10月 24日


大工集団 欅は建築屋ですから長さを測るメジャーは必需品です。
では長さの基本である「メートル」はどのようにして決まっているのでしょうか。

元々は、地球の赤道と北極点の間の海抜ゼロにおける子午線弧長を 1/10000000 倍した長さで決まっていました。

メートル原器という物がありました。
1879年、フランスで白金90%、イリジウム10%の合金で作られました。
それは、それ自体の長さではなく原器の両端付近に記されたそれぞれの目盛の距離が摂氏零度の時に1メートルとなるよう設定されています。
国際原器はパリの国際度量衡局(現在はセーヴルに移転)に保存されていました。
1885年日本がメートル条約に加入すると、1890年にフランスから「日本国メートル原器」(No.22)、「日本国キログラム原器」(No.6)が到着した。中央度量衡器検定所(現・産業技術総合研究所)で保管され、これを日本の長さの基準にしたのです。

その後、計量学の技術発展とともに何度か更新され、1983年に基準が見直され、現在は1秒の 299792458 分の1の時間に光が真空中を伝わる距離として定義されています。
つまり、独立してメートルが定義されていた時代は終わったのです。

今日の新聞に、重さの単位「キログラム」の基準を定める新手法を確立したと、産業技術総合研究所(茨城県つくば市)など5カ国の研究機関が23日、発表したと記載されていました。
「キログラム」は約130年間、パリ郊外に保管される分銅「キログラム原器」が基準になってきたのですが、来年11月の国際会議でこの手法を用いることが決まると、原器が不要になるという。

「重さ1キロ」は1889年以降、パリ郊外の国際度量衡局に保管される金属製の原器が基準となっています。
しかし、表面の汚れなどで1キロからわずかに変化するため信頼性が問題でした。
かつては長さの「メートル原器」も光の速度を基準にする手法に変更され、重さにも普遍的な基準が求められていました。



上の写真は日本のキログラム原器です。
国際度量衡局の原器と同じ寸法、材質で作られています。
(産業技術総合研究所提供)


この記事を読んで子供の頃にお婆ちゃんから聞いたことを思い出しました。
私の実家にはお米を量る大小の升がありました。
その中で一番大きな一斗枡を指さしてこう言ったのです。
「この一斗枡は9升5合しか入らない。我が家はこの枡で年貢をもらっていたから村の人たちは助かっていたんだよ。」
私はこれを聞いて先祖を尊敬しました。





2017年 10月 19日


大工集団 欅には三角庭と呼んでいた庭がありました。
そこにはブナの木が2本、キンモクセイ、白梅等々が植えてありました。


それらを伐ってしまいました。
ブナにチェンソーを入れたところ、水が流れだし・・・、『ごめんな』と言いながら伐採しました。
どうしても伐らなければならなくなったのです。

このブナは友人だった故池田健さんが植えたものでした。
健さんゴメンな、どうしても伐らなければならないんだ。
分かってくれるだろ。


そして今はその場所に建物の基礎を造っています。


何の建物かって?
それは内緒です。

年明け頃には皆さんにもお分かりいただけると思います。





2017年 10月 3日


10月に入り急に寒くなりましたね。
昨夜は今期初めて薪ストーブに火をつけました。


この寒さで秋になったことを感じています。
秋と言えば・・・、食欲ですか?
私はホワイトロードの紅葉が気になります。
喫茶大工集団 欅にご来店されるお客様からの情報によると三方岩あたりまで紅葉が降りてきているようです。

そうそう、ホワイトロードの紅葉情報は下記のアドレスです。
http://hs-whiteroad.jp/autumn-leaves/

私にとっての秋は薪割りですかね。