新木場の未来は
石川県で新木場の話をしてもピンとこないかもしれませんが、新木場は日本の木材流通の中心で石川県においても少なからず影響のあるところです。
その日本の木材・木材製品の中心地である新木場で扱っている木材が激減しているとのことです。木材の流通経路から外れてきているということなのです。
住宅の着工数はここ数年横這いだそうですが、そのほとんどが大手ハウスメーカーの家です。そのため、今までの工務店や大工さんが建てていた在来工法の家(柱を立て・屋根を上げて・建てる家)、または銘木を使った和室は激減しています。その影響で高級品の銘木(床柱、地板、天井材)を扱う業者が相次いで倒産しています。
プレハブの住宅会社は構造材に木を用いません。木造住宅メーカーではもちろん木材を使っていますが、広い敷地の工場を作り輸入材を海外から直接自社工場に入れて加工しています。また住宅会社の考える家には木を使った部屋がほとんど無く、和室も外材で造ります。そのために新木場や地方の材木屋が必要なくなってきています。これは、時代の流れなのかもしれませんが、材木の町から材木が消えるのは、非常に淋しいことです。
彼らの考えた家は私達日本人の生活様式、ついては美意識・生活意識にまで変化を与えたようです。とは言ってもそれを望んだのは消費者なのですからしょうがないのですが・・・。それでも美しく優しい日本の文化が消えてゆくのは勿体ない。
新木場で商売を行っている業者の70%近くが、廃業も転職もできずにいるとのことです。新木場は東京都の条例で”臨港地区”に指定されていて、木材と港湾関連以外の業種は、認められていないのです。おまけに住むことも許されていません。銀行などは新木場の土地を担保にしても、なかなか融資してくれないそうです。これでは身動きできないのも当然です。
江戸時代から住宅供給を支えてくれた家系が倒産を待っている状態になっているのを見殺しにするのでしょうか。
時代の流れは仕方ないとしても、もう少し国や東京都も考えてあげることは出来ないのか、と思います。
◇新木場 (平成8年4月13日 東京新聞より抜粋)
江戸時代に、日本橋、神田などに分散していた材木集散地が、大火の一因になったことで、隅田川以東に移された。元禄14年(1701年)から、深川木場(現在の江東区木場2丁目)に定着した。昭和に入って周辺の都市化が進み、風水害の際に原木が流出する危険性が指摘され、材木業者側の用地不足もあって、昭和51年都14号埋立地”新木場”に移った。